毎年8月になると思う。アメリカ人っていうのは、広島や長崎の原爆がいつ落とされたかなんてことには、特に興味がないんだなと。広島に原爆を落としたのは知っていても、長崎に落としたことを知らないアメリカ人さえいる。教科書問題について日本を責めるアメリカ人が、長崎の原爆を知らないんだから、アメリカの歴史教育だって疑いたくなる。
 ニューヨークでは毎年、原爆投下日の8月5日(日本時間6日)に、マンハッタンにある本願寺仏教会が、原爆法要などの平和祈念行事を行う。原爆投下国で「ノー・モア・ヒロシマ」とデモをするんだから、中国や韓国が日本で、南京大虐殺や慰安婦問題のデモをするようなものかも。 今年は5日、セントラルパークで平和コンサートも開かれたのだが、快晴だったにもかかわらずほとんど人が来なかった。5番街72丁目近くのコンサート会場は、かなりメジャーな場所だったのに。日本から原田真二(広島出身)が来るというので、私もいそいそ出かけて行ったのだが、ガラーンとした会場はかなり悲しいものがあった。
 大多数のニューヨーカーは戦争反対派だ。イラク戦争はもとより、イランや北朝鮮に「おまえら核を持っているだろう」と詰め寄るアメリカこそ核を持っていることも、ニューヨーカーはあけすけに批判する。
 ところが、話が原爆のことになると、結構みんな肯定するのだ。ニューヨークのある宗教関係者が、平和祈念行事の後に語ってくれたところによると、「アメリカ人に聞くとみんな『あの原爆は落とさざるを得なかった』と言いますね」。第一、アメリカ人にとっての「戦争の傷」は、原爆を落としたことよりも真珠湾だ。徹底的に根に持っている。アメリカの小中学校では、歴史のクラスで真珠湾の話題になると、先生が気を使って日本人や日系人の生徒を別の教室に移すこともあるほど。
「ノー・モア・ヒロシマ」も、叫ぶことに意義があるというものの、こういうアメリカで展開しても、残念ながら馬の耳に念仏、暖簾に腕押しかも。
(ささききん・NY在住)
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