9月になり、猫がきてから1カ月が過ぎた。

 8月2日木曜日、朝5時。子猫の鳴き声で目が覚めた。2階の窓を開け、玄関を見ると、ドアの前に段ボールが置いてある。しっかりとガムテープで閉じてある。ガムテープを剥がすと、中には子猫が1匹入っていた。

 捨て猫というか、不法投棄というべきか。玄関は道路から5メートルは中に入っている。その距離を歩いて、わざわざ、置いていったと思われる。
 我が家にはすでに、大きい猫がいるので、仲良くやれるかどうかが、かなりの問題になる。

 子猫は元気で、食欲もあり、走り回っている。体重は毎日10グラムくらい増えている。来た当初1キロくらいだった体重も、9月8日には、1.65キロになった。

 我が家に来て10年になる大きいエルは、体重6キロ。遠巻きに眺めながら、ときどきうなって威嚇している。どうやら子猫のほうが強そう。名前はまだ考えていないが、「ピョン基地」とよんでいる。いったいどういうことなんだ。猫缶と事情を書いた手紙くらい段ボールに入れてほしいものだ。

 子猫が来てから、かなりの損害である。敷き布団2枚がいろいろなシミになった。暑いさなかに、細かくちぎり、数回に分けて、燃えるゴミの日に出した。粗大ゴミに出そうとすれば、市役所に連絡してから2週間はかかってしまうだろう。しかも、有料である。

 子猫のせいで、ゴミについて考えることが格段に多くなった。

 生ゴミを出す場合、水をよく切って出すのは常識だと思うが、現実にはそうはなっていまい。ゴミ収集の清掃労働者の苦労など考えずに、夏の生ゴミは出される。清掃工場では紙のゴミも多く、そのまま燃焼すると高温になり、焼却炉の傷みが早い。だから、焼却炉を延命させるために、水をかけながら燃やしている。この水道代が馬鹿にできない金額になる。

 ゴミを燃やして処分するやり方は、地球温暖化はもとより、ダイオキシンはじめ有害化学物質を発生させ、大気汚染の最大の原因になっている。といって、焼却しなければゴミの最終処分場の場所がなくなる。

 たかが、子猫のトイレ問題とはいえ、ここまで考えると、猫も安易に飼うことはできない。

 猫のトイレ用の砂はいろいろ売っている。水洗トイレに流せる紙の砂は、環境に対して、どう作用するのだろうか。私も流すが、ビニール袋に取ってしっかりしばり、においが外に出ないようにすればゴミの日に出すという方法でも、いいのではないか。どちらが環境にはいいのだろうか。やはり、水洗トイレに流した方が、便利だし、いいのだろうか。

 捨て猫といい、猫のトイレの砂といい、すっきりしないことが多い。自分も含めて、何かが安易になり、どこかで諦観に結びついていくような、無責任な社会になっていないだろうか。

 捨て猫と一緒に捨てられていったものまでは、引き受けてはいないつもりなのだが、自分の思考も停止してしまいがちで、怒るにもエネルギーが続かない。子猫1匹で、身も心も傷だらけになっている。

(記者:小牧 みどり)
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